生と死の狭間で…

明日から11月。
11月はあまり好きではありません。
それは、息子の重い病気がわかって、入院した月だからです。


平成2年7月、大きな産声をあげて息子は生まれてきました。
元気で母乳もよく飲んで順調に体重も増え、何の疑いも持たずに過ごしていました。
1ヶ月検診も無事にパス。
ところが、2ヶ月を過ぎた頃から、母乳をあまり飲まなくなりました。
体重も増え方が悪くなり、保険所に相談しました。
でも、異常は認められず、11月に又検診にくるようにと言われました。
11月、検診に保険所へ連れて行くと、診察した担当医に、直ぐに紹介状を渡され、
これをもって大阪市立大学の病院へ行くようにと言われました。
これは絶対何かあると怖くなった私は、当日、主人と義母と3人で息子を
市大の病院へ連れて行きました。
検査した結果、告げられた病名は【総肺静脈還流異常症】でした。
全ての肺静脈が心臓に繋がっていない為、肺で綺麗に浄化されない血液が全身をめぐっていました。
心室に開いた穴でかろうじて血液が行き来していました。
生後4ヶ月の今までよくも心不全をおこさずにいたものだと驚かれました。
なぜ、今までほっといたのだと言われました。
でも、ちゃんと検診に連れて行っていたし、保険所にも相談していたのに、
なぜ、そこまで言われなければならないの?と憤りながらも、ショックの方が大きかったです。
そして市大では手術できないと告げられました。
紹介されたのが国立循環器病センターでした。


紹介状を持って尋ねて行き、診てくださったお医者様は、
「本当にこの病気の子供さんがこの子ですか?」
と尋ねられました。
それほど、見た目には息子は元気でした。
即日入院。
離れ離れの日々が始まりました。


周囲には私の想像を超えた、様々な病名の赤ちゃん達が入院していました。
ファロー四徴症、左心低形成症候群、単心房、単心室etc…。
お母さん同士励ましあい、ただ、ひたすら子供の命が助かることを願って
過ごしていました。
手術の日が近づくと、お母さん同士お互いに千羽鶴を折って手術の成功を
祈りました。
でも、私の知っている限りだけでも、3人の赤ちゃんが手術後命を落としました。
赤ちゃんのまま、天国へ旅立っていってしまった命。
いったい何の為にこの世に生まれてきたのだろう?
と当時は思った事もありました。
又様々な人間ドラマもありました。
あるお母さんは、子供さんが先天性心疾患とわかった途端に、
ご主人とご主人の両親に、
「うちの方にはそんな病気の者はおらんから、あんたの方が原因やろ」
と言われたとおっしゃっていました。
当時は、先天性心疾患についての一般の人の認識はその程度のものだったのです。
悲しいことです。
そんな中、無事に手術に耐えて、生き残ってくれた息子。
本当に嬉しくて嬉しくてしかたがありません。


明日は息子の大学受験日。命あってこそ、経験できる事。

亡くなっていった赤ちゃん達の事を思うと、
本当に息子には命を大切に生きていってほしいと思います。