戦争の傷跡

息子の高校の2年生達が今月修学旅行に出発して行きました。
行き先はロサンゼルスとの事。
行き先を決めるに当たって先生方の間で問題になった事があるそうです。


昨年、息子達はカナダへ修学旅行に行きました。
そのカナダでの事。
自由行動から宿泊先のホテルへ向かっていた息子達に
カナダ人の年配の男性が声をかけてきたそうです。
『日本人』であることを確認した上で、戦争の事について
激しくまくし立て始めたそうです。
いくら英語でも差別用語ぐらいは息子達にもわかったので、
日本語VS英語で言い争いが始まってしまいました。
ホテルのすぐ近くだったので、騒ぎに気づいた引率の先生方が出てこられて、
息子達はホテルの中に入るように指示されたそうです。


12月は日本が戦争を始めた月です。
カナダでさえ、12月は、戦争の傷跡を思い出させるのです。
ましてや、その12月にアメリカのロサンゼルスにいるとなると、
どんな事がおこるかわからない…というのが、一部の先生方が危惧した事だったのです。


息子達ははっきりいって今時の子供達なので、戦争の事を言われてもピンときません。
私だって、いくら話を聞いても、本を読んでも、本当の所はわかりません。
体験したことのない者は、想像するしかないのです。悲しいけれど…。


息子達に絡んでこられたカナダ人の男性はいったいどんな戦争体験をされたのでしょう?
義母からも戦時中の話をよく聞きます。
大阪は焼け野原だったとの事。
道端に生えている草を見ると、食べられるかどうかすぐに見て確認したそうです。
芋のつるはご馳走だったそうです。
一度スイトンを作ってくれた事がありました。
息子は『おいしくない』の一言で片付け、あまり食べませんでした。
義母は、低空で飛んできたアメリカの飛行機の兵士が笑いながら
激しく攻撃してきた光景を忘れられないと申します。
息子が何故笑ってるのがわかるのか?と尋ねると
顔が見えるほど低く飛んできたのだと申しました。
どれだけ恐ろしかったことか、と…。
その兵士が恐怖の余り笑うしかなかったのか?
それとも日本人が憎くてゲーム感覚で人殺しを楽しんでいたのか?
本当のところはわかりません。


そんな義母に言わせれば、
アメリカは原爆を落として人体実験をした恐ろしい国との事。
戦争を体験した人達は、未だに深い傷を負っているのだと思います。
カナダ人の男性しかり。
義母もしかり。


戦争の傷跡が癒される日はくるのでしょうか?
私達戦争を知らない世代はいったいどうやってそれを伝えていけばいいのか?
難しい問題です。