悩める存在

どんなに幸せそうに見える人にも一つや二つの悩みはあるものだと思います。
いつもポジティブで活き活きとしている人にも、過去に辛い経験をしておられる場合があります。
又、今正に悩みを抱えながらも、前を向いて歩いておられるのかもしれません。


人は一面だけで判断できるものではないと思います。
多面性を持っているものです。
それなのに、そのたった一面だけを見て、その人の評価をする事のなんと多いことでしょう。
自分が人の一面しか見ていない場合。
そして、人が自分の一面しか見てくれないと思う場合。
どちらも『人』という存在が、不完全なものとして存在しているから起きること。


『言葉』のなかった時代、人はどうやってコミュニケーションを仲間ととっていたのでしょう?
テレパシーみたいなものででしょうか?
相手の(仲間)の心を、自分の心で感じていたのでしょうか?
それとも意思の疎通が図れずに困った事態があった為、それを打開する為に言葉が発達したのでしょうか?


前者の場合であれば、文明と言葉の発達で、せっかく本来人間が持っていた心と心を通じ合わせる
大切な機能を私達が失ってしまったといえることになります。
反対に後者であれば、最初から人間はお互いの心を通じ合わせることは不可能な存在だといえることになり、
言葉をつくして話し合わない限り、仲良くできないということになります。


人が自分の事を理解してもらいたいと思う気持ち、それは、自分だけではなく、相手も思っているという事。
それを念頭に置かない限り、自分だけが悩みを抱えている可愛そうな存在だと、自己中心的な考え方に陥って
しまい、ますます、悩みを深めてしまう事になります。
だから、『話す』『相談する』という行為は大切だと思います。


「私ひとりだけがこんなに悩みをかかえて世界一不幸だ」とか
「あなたは能天気で何にも悩みがなくていいわね」とか、人を羨んで並べたてるのではなく、
「今、こんな事で悩んでいるのだけど、どう思う?」とか
「ねえ、こんな経験したことある?」とか
気軽に話して、問題をおおごとにしないように、自分の気持ちの持って行き場をみつける為の
ちょっとした努力が必要だと思います。


人は皆、悩める存在なのですから…。