カテーテル検査と根治手術

息子が赤ちゃんの時、入院していたのは2ヶ月間だけでした。


<ここから書く事は全て当時の事を書きますので、そのつもりで読んでください>


総肺静脈還流異常症は、生後まもなく心不全を起こす場合が多い為、
ほとんどの赤ちゃんが生後1週間以内に根治手術を受けるのだそうです。
そして、遅くとも生後6ヶ月までには手術を受けないと死亡すると説明を受けました。
息子の場合、発見されたのが生後4ヶ月だった為、期限が後2ヶ月しかありませんでした。
慌ただしく様々な検査が行われ、以前のブログにも書いたように、
輸血をしてくれる人の手配もしなければなりませんでした。(2008/9/11 血液型の思い出に記載)


一番心配した検査が、カテーテル検査でした。
足の付け根の動脈からカテーテルを入れて、心臓へ到達させ、造影剤を入れて
心臓の様子を検査するものです。
大人の場合は局部麻酔でするそうですが、赤ちゃんは動く為、全身麻酔でするとの事でした。
手術と同じくらい難しい検査の為、もしもの場合もありうると脅かされました。
たとえば
心血管の損傷・血管閉塞・麻痺・意識障害・合併症・5000人に1人の割合で死亡しているetc…。


検査の間中、ずっと祈っていました。
病院の待合で窓の外の景色を時折眺めては心を落ち着かせ、ただ、ひたすら祈っていました。
義母と二人でいたのですが、お互いに話すでもなく、お互いに同じことをしていたように思います。
突然、空がにわかに黒雲に覆われ、今までの晴天が嘘のように暗くなり、稲妻が走りました。
雷が鳴り出し、強い雨が降ってきました。
どれくらいの時間がたったのかわかりませんでしたが、突然黒雲に覆われたのと同じように、
あっという間に雲が消えていき、雨もやみ、さっきの嵐が嘘のように晴れてきました。
それとほぼ同じくらいに、カテーテル検査を無事に終えた息子が、ベットに寝かされて看護師さんに運ばれてきました。
無事に終わったことで、本当にほっとしました。
あの嵐は、きっと龍神様が息子の事を守ってくださっている証だったのだと思いました。



手術は根治手術というものでした。
人工心肺を使用し、約2時間心臓の動きを止めて行われます。
息子の場合、肺静脈4本が1箇所に集まっている部分と心臓とを繋ぎ、心室の穴を塞ぎ、
枝分かれしていた本来ならばないはずの細い血管を縛って血がいかないように
されました。その細い余分な血管はやがて消滅するとのお話でした。
術後に気をつけないといけない点は、吻合部の狭窄・肺高血圧・不整脈との事でした。
吻合部が、体の成長と共に、心臓と一緒に成長していくことが重要でした。
もし、吻合部が成長しなければ、そこが裂けてしまい、命にかかわるからです。
不整脈は心臓をいらっているので、どうしても神経に触れてしまっている為、
神経の伝達がうまくいかない箇所が出てきて、おこる可能性があるとの事でした。
人工心肺を止めて、止まっている心臓を再び動かす時が一番の重要ポイントという事でした。
それさえ乗り越えればほぼ大丈夫との事でした。
12月20日午前9時、息子は看護師さんに抱かれて手術室へ入っていきました。
あの日の事は忘れもしません。
病室へやって来た私達夫婦や義母、私の両親の顔を、息子はひとりひとり、
じっくり見つめました。
まるでこれが見納めといったような感じで、ひとりひとり見つめたのです。
あのなんともいえない息子の表情は忘れられません。
ずっと抱きしめていました。
手術室の前で看護師さんにお預けしたのです。
手術が無事に済み、私たちが医師に呼ばれたのは午後6時を過ぎていました。
病院を後にしたのは午後8時を過ぎていたように思います。
皆、安堵感と疲労感で、喋る気力もなく、帰りに夕食を食べにお店に入ったのですが
何を食べたのやら、味わったのやら何も憶えていません。


親は我が子の為ならば、どんな事でも手を尽くそうと思うものです。
当時としては最高のスタッフが揃っている国立循環器病センターで手術していただけるのだから、
絶対大丈夫と言い聞かせていました。
息子に最善の手を尽くしてやれなかった、なんて後悔は絶対したくありませんでした。
お医者様や看護師さんと何回もお話をして、これが最善の方法と納得した上での手術でした。
これだけ手を尽くしたのだから、もしもの時の覚悟をしながらも、でも、絶対助かると
信じようと主人と話しました。
そして結果は、ご存知の通り大成功といえると思います。
今も元気にしている息子が何よりの証拠です。


当時、お世話になった皆様、本当にありがとうございました。m(_ _)m