畏敬の念

先日、氏神様へお参りしてきました。
先々月からずっとお参りしたかったのですが、なかなか行くことができなかったのです。
やっと、行くことができてほっとしました。


そして日を置いて、息子のお宮参りや七五三でお世話になった神社にも
お参りしてきました。
年末までにはどちらの神社にも、もう一度、年内最後のご挨拶をしに
お参りしてきたいと思います。


うちの界隈はお地蔵様も多く、ちょっと歩けばお地蔵様のお社に出会います。
その度に手を合わせてご挨拶します。
傍から見れば、変なおばさんに見えることでしょう。


息子の件でお世話になった神社の前まで来た時のこと。
初老の女性がレジ袋を提げたまま、階段の下から神社に向かって
深々と頭を下げられた姿をお見かけしました。
そこには『神』に対する畏敬の念が感じられました。


昔の日本人には見えないものに対する畏敬の念というものが存在していたと思います。
悪い事をすれば
「誰も見ていないなんて思ったら大間違い。お天道様がちゃんと見ていなさるよ」
と注意を受けたものでした。
自然に対する畏敬の念。
神に対する畏敬の念。
感謝の念。
八百万の神々といわれているように、昔から日本人にとって神とは身近な存在でした。
神とは自然や地球そのものの象徴でした。


いったい、いつの頃からでしょう?
見えないものに対する畏れや感謝の念がないがしろにされだしたのは…。


誰も見ていないからかまわない。
みんなやってることなのだからかまわない。
そんな自分勝手な理由で、平気でルールを破り
人に迷惑をかけ
自分さえよければそれでいい
といった風潮が大手を振ってまかり通りだしたのは…。


今一度、自然について、地球について、
見えないものに対する畏敬の念について
静かに感じてみるのはいかがでしょうか。