隣の芝生は青く見える

先日、義母がお姉さんに「あんたとこは幸せや。羨ましい」と言われたそうです。
義母は「隣の芝生は青く見えるんやねえ。内情も知らずに」と言いました。
私も主人も「そうやねえ」と答えました。
個人的な事なので、義母のお姉さんのお宅の事情は書けませんが、
私から見れば、自分の家も土地もあり、夫婦2人寄り添って暮らしていて
週に3日は娘さんが尋ねてきてくれてとても幸せに見えます。
ただ、お年なので、遠くへ出かけていくことは困難です。
そういう意味でいえば、どこかへ旅行に行ったりする楽しみはないかもしれません。


それに比べて、うちは毎日が戦争のような状態。
いつもいつも仕事に追われ、資金繰りに追われなかなか心の休まる日がありません。
人手不足なので、義母も少しの間ですが、事務所に来て雑用を手伝ってくれています。
本当ならもうゆっくりしてもらわなければいけないのに、気の毒です。


人は皆無いものねだりなのかもしれませんね。
私はお金には恵まれていないけれども、家族には恵まれているかもしれません。
時間には追われているけれども、暇をもてあますということはありません。
お菓子を作ったり、編み物をしたり、パッチワークをしたりといった
ゆっくり何かに取り組む事はできないけれども、
たまに出かけて美味しいものを味わったり、キレイな景色を観ることができます。
幸せ者だと思います。


しんどい事や辛い事や苦しい事を数えだしたらきりがありません。
無いものを数えてもつまらないだけです。
それよりも有るものを数える方が断然楽しい。
以前ブログに書いたように、水鳥のように軽やかに生きていきたい。


義母が『ゲゲゲの女房』を観てよく言っています。
義母にも同じように極貧の時代があったので、その時のことを思い出すそうです。
そして、あの時代の方がよかったと言います。
お金を貯めてやっと急須を買ったりして、そうやって物が増えていくこと、
たったそれだけで幸せな気持ちになれたと。
それに比べて今の人は可哀想だと言います。
最初から与えられた物に溢れた世界で生きて、生きる目的を見失っていて
将来に夢を描く楽しみも無く、可哀想だと言うのです。


さて、今の人というのがどれくらいの範囲の人を指すのかはわかりませんが、
『隣の芝生は青く見える』ということを肝に銘じて、その陰で行われている努力に
目を向けるようにしたいと思います。