割れ鍋に綴じ蓋

私は子供の頃から、話のピントがずれていく癖があります。
これは40歳代となった今でも少しも変わっていないようです。
たとえば物語などを読んで感想文を書く時に、真っ向から受け止めた感想文ではなく、
どこか、本題とは外れた所について感想文を書いてしまいます。
しかも、自分勝手に解釈して想像を膨らませて、どんどん違う方向へ行ってしまい、
最後には収拾がつかなくなってしまうこともしばしば。
でも、感想文を書く事は楽しくて、夏休みの宿題に出た時は、どの本で書こうかしらと
夢を膨らませていました。


でも、これが友達づきあいとなると話は別です。
ピント外れの私の話についていけないクラスメイトで、しかも、私を嫌っている人などは
フンと鼻で笑って無視しましたもの。
見るからにひ弱で愚図でチンクシャの私の話など、聞くだけ無駄という態度でした。
そう、私はピント外れの変わり者なのです。


義母からもあんたの話はどこかピントがずれていると言われた事がありました。
けれども、やっぱり夫婦というものはいいもですね。
主人は違うからです。
私の話や質問を真剣に聞いてくれて、私が本当は何を聞きたいのかを想像して
答えてくれます。
本当はAの事を聞きたいのに、その周辺の事を並べ立ててわかりにくい質問の仕方に
なっているのを考慮に入れて、返事をしてくれます。
そして、最後に
「答えになってるかな?」とか
「お前の質問をこう解釈して、こう答えたけど、これでよかったかな?」
と聞いてくれます。
私の心に寄り添ってくれます。
そんな二人の会話を横で聞いている息子がずっこけている姿もしばしば見られます。
後で主人に
「お父さんはようお母さんの会話についていってるなあ」
と労っている姿があります。
で、主人は泣きまねをしながら
「そうやろう?そう思うやろう?苦労してるねんで」
と息子に答えている姿があります。
私はそんな二人を横目で見ながらも、はてなマークが頭の上に続いている…。
そんな構図といったところです。


でも、ここで逆襲するならば、主人の学生時代のご友人の言葉があります。
20代の頃、そのご友人も含めて次々と結婚が決まっていった時、
主人の母が
「うちの子(主人)はいつになるやろう?」
と言うと、そのご友人が
「お母さん、言いにくいけれど、●君は気難しいから、結婚は大分難しいと思いますよ」
と言われたそうです。
そして、その義母自身も、時々息子である主人の事を『へんこ』と言います。
『へんこ』とは関西弁で頑固で変わり者の事。


なあんだ、主人も変わり者だったんだ。
じゃあ、変わり者同士の夫婦って事で丁度よかったんだ。