アドバイスの功罪

アドバイスとは人にする事も難しいですし、人から受ける事も難しいと感じます。
アドバイスを受ける場合、自分の心の状態によって、その印象は大きく違ってきます。
後になって、ああ、そういう事だったのか!と解る事も…。
悩みの嵐の真っ只中にいると、自分を見失い、せっかくのアドバイスも耳に入りません。
まずは自分が冷静にならなければ、話は進まないことを、かつての経験から理解しました。


又、掲示板などでアドバイスを求めた場合、先方はこちらの書いた文章でしか悩みがわかりません。
そんな状態でアドバイスをしてくださる方も大変勇気のいることです。
身近にいて、経緯を知っている人からのアドバイスでもなかなか受け入れることが難しいのに、
見ず知らずの方の掲示板でのアドバイスに、誤解から反感を持ってしまう事さえあります。
それでは、何にもなりません。
やはり、自分が冷静になる事が、何より大切だと思います。


なぜ、こんな事を書くかというと、主人がもう何年も相談にのっていた件がうまくいかず、
相手の方から、責められた場面を見てしまったからです。
ずっと、こうしたら?ああしたら?と具体的にアドバイスをしてきたのですが、
その方は、ことごとくアドバイスを否定して退け、(そんな事できないとか、無理とか言って)
自分独りでこんなに苦しんでいるのに、
誰もちゃんと相談にのってくれないと、悲劇のヒロインになってしまっておられます。
ただ、悩むばかりで、自分では何の行動も起こさずに、ここまできてしまわれました。
そして、その苛立ちを、全然別の件で、主人にぶつけてこられました。


横から見ていて辛くなったので、主人に
「もう充分と違う?ここら辺で手を引いたら?」
と言ってしまいました。
主人も、もう潮時と思っていたらしく、そうするとの事でした。


《汝自身より優れた忠告を言うものなし》…キケロ古代ローマの哲学者】