昔の人はよく言ったもので、【隣の芝生は青く見える】という言葉があります。
傍から見て何不自由なく、幸せに暮らしているように見えても、
その実、様々な苦しみや悩みを抱えている、そういう方は結構多いのではないでしょうか?
陰で大変努力している事も知らずに、見た目だけで羨望の眼差しで見られ、
あなたは幸せでいいよね、気楽でいいよねなんて言われている方もおられるはずです。
又、人は自分自身が経験しないと、想像する事はできても、
聞いただけでは、理解することがなかなか難しいとも思えます。
【百聞は一見にしかず】ですよね。
私達家族は、どういうわけか、周囲の人からよく、羨ましいとう言葉を投げかけられます。
何をもってそうおっしゃるのか?私は理解に苦しみます。
私なら、人を羨んでいる暇があれば、少しでも、前へ進むことを考えます。
今、自分のなすべき事に全力を注ぎます。
人を羨んで、それで、自分が幸せになるのなら話は別ですが、
何も得るものはないように思います。
嫁姑の関係一つとっても、よく、仲が良いと羨ましがられます。
私からすれば、その場面だけ見て、そんな事は言ってほしくありません。
今まで、どれだけ努力してきたのかも知らずに、
軽々しくそんな言葉を口にしてほしくはありません。
3年前、義父が事故で亡くなった時、
愛する者を突然奪われた義母は、感情の起伏が激しくなり、
精神がとても不安定な状態になりました。
竹を割ったようなさっぱりした気性の人だったのが、
まるで人が変わってしまいました。
息子である主人でもなく、可愛い孫でもなく、
他人である嫁の私に、当然、その攻撃の矛先は向きました。
私なら、嫁という立場なので、黙って頭を下げ、逆らわないことを
本能的に知っているので、一番攻撃しやすかったと思われます。
ついさっき、言われた事を実行したのに、こうじゃないと
突然、反対のことを言われ、面食らうこともしばしば。
そんな中、会社の現役の社長を失ったので、当時専務だった主人を
社長に変更する手続きや、相続の手続き、保険や年金の手続きなど
書類上の仕事は全て私にかかってきました。
加害者の刑事裁判の為に、警察や検察庁での事情聴取や、法廷での傍聴もしかり。
誠意の無い加害者に対する恨みつらみが全て私に向かってきました。
毎日、自分が起きているのか眠っているのかもわからず、
地に足が着かない、わけがわからない状態で、フラフラになりながら、
仕事や家事や、雑事に追われていました。
その上に義母の心の様子も気にかけながらの生活は、
私にとって地獄の日々でした。
「あんたら3人はは家族やけど私は家族じゃないし。はよう、死にたいわ」
なんてことを義母に言われたこともありました。
心が傷ついている人に、それ以上追い詰めるような事を言って逆らえますか?
ただひたすら、耐え忍んで、前を向いて過ごしてきたのです。
人は皆、何かしら、悩みをもっているものです。
自分だけがひとり、悩み苦しんで不幸だなんて思うのは
思い上がりだと、私は思います。
人を羨む暇があったら、前を向いて、自分のなすべきことをなさい!
と声を大にして言いたいです。