トラウマ

愚痴は出来るだけ言うまいと思っていた。
でも時には吐き出さないと、私の内に溜まる一方で収拾がつかなくなる。
愚痴は聞かされる身になれば、うっとおしくてたまらないだろうと思う。
反対に溜まっている本人は、どこかで吐き出さないと自分が潰れてしまう。


小学生の時に受けた心の傷は根深く、どこまでも私を追いかけてくる。
決別したくても、気がつくと同じことを繰り返している自分を見て、
自己嫌悪におちいる。


あの時の小さな私がいつまでも私の中にあって、同じ言葉を叫び続けている。
「わかってほしい。それでもやっぱり要領の悪い私が悪いの?」
ウソのつけない、真っ正直な事しかできない、幼かった私が悪いのか?
決して許してもらえず、馬鹿にした目で見られ、
「そういう性格やったん。ようわかったわ。お母さんに話します」
と言われた屈辱。


先生の目の前ではいい子で、陰では人をいじめていても、
先生は知らないから(知ろうともしないから)その子をエコヒイキする。
要領のいい子が皆の前で褒められ、要領の悪い子は皆の前でつるし上げられる。


そしてクラスのみんなは、自分が次の標的にされることを恐れて
先生の前では決してクラスメイトをかばおうとはしない。
皆の前でただ、ただ、見殺しにされるだけ…。


先生に吊るし上げられた事、皆に見捨てられた事、
私の中でずっとトラウマのまま…。


普段は友達面していても、いざとなったら裏切るのだから
誰も信じられない。
誰も守ってはくれないのだから、自分は自分で守らなくてはと
幼心に刻まれたトラウマは、大人になった今でも私を支配している。
同じような状況になった時、冷静に大人としての対処ができずに、
幼い私が顔を出し、必死に自分を弁解してしまう。


誰も守ってはくれないのだから、自分で自分を守らなければ!
無意識のうちに必死に弁解している。


今になって思えば、クラスメイトだって当時はただの11歳の子供にすぎない。
大人の先生に逆らうことなんてできるわけない。
でも、子供だった私にはそんな事わからない。
私にとって学校は地獄だった。
早く終わってほしい、早く過ぎ去ってほしい、
その思いしかなかった。


やっと5年生が終わり、6年生の担任は誰だろう?と
願いをこめて登校したけれど、結果は同じ担任の持ち上がり。
それを知ったときの絶望。
6年生の1年間は、ただ、ひたすら沈黙を守り、誰ともかかわらず、
独りの世界に閉じこもった。
どこにいるかわからない目立たない子供を目指した。
先生に吊るし上げられない為に…。
クラスメイトとは表面上は友達面して…。
嫌な私…。


そのまま中学へ進んだから、中学の担任が母に言ったそうだ。
「何を考えているのか、わからないお子さんです」と。
そりゃそうでしょうね。
先生というものを全然信じていなかったから。
先生という人種は、生徒を、自分の言うことを聞く子はいい子、
聞かない子は悪い子と見る生き物だからと
本気でそう思っていた。
だから、担任とも必要最低限の事しか話さなかった。
それ以上かかわるのはごめんだと思っていた。


どうか、お願い。
私のような人間をつくらない為にも、
子供達を自分の眼鏡にかなう子はいい子、かなわない子は悪い子と
エコヒイキしないで。