心・こころ・kokoro

私は心の弱い人間です。
今でこそ、少しは前向きに考えて生きられるようになりましたが、
子供の頃は、何をするにも自信がなくて、教室の隅でじっとしているような、目立たない子供でした。
体も小さくて、ガリガリに痩せていました。
泣き虫でしたので、男の子からいじめられたりもしました。
小学校3年の時、授業中に胸の痛みをうったえることが続き、何回かあった後、担任が母に連絡を入れて、迎えに来てもらったことがありました。
そのまま、病院へ行き検査を受けましたが、どこも悪いところはなく、お医者様の診断は【神経症】との事でした。
その後、両親がどんな風にしてくれたのか、記憶にはありません。
薬を飲んだ記憶もありません。
でも、胸が針で刺されたように痛かったのだけは覚えています。


小学5年生の時、担任との相性が悪く、ますます自分の殻の中に閉じこもるようになりました。
当時の担任は、自分の目の前で要領よく、自分の気に入るように立ち回る児童を褒めて、要領が悪く失敗ばかりする児童に冷たかったのです。
不器用な私は、要領よく立ち回ることができず、クラス全員の前で、担任からつるし上げられたことがありました。
おかげで、私はすっかり人間不信になってしまいました。


中学へ進んでも、私は独りでいることが多かったです。
人が怖かったし、信じられなかったからです。
ただ、ひたすら、読書に没頭していました。
空想の世界では私は自由でしたので…。


高校で吹奏楽に出会いました。
音楽は心を癒してくれました。
でも、そのクラブも人間関係をうまく処理できなかった私自身が原因で退部してしまいました。


珠算の腕が少しばかりあったので、高校卒業後は経理の専門学校へ入学しました。
簿記を勉強して就職活動にいかそうと思ったからです。


就職してからも、気が利かなくて要領の悪い私は、怒られてばかりの毎日でした。
やっぱり私は必要のない、ダメな人間なのだと卑下して、泣いて落ち込んでばかりの苦しい毎日でした。


ただ、唯一続けたことがありました。
朝一番に出勤して、一人で掃除することを退職するまで続けたのです。
きれいに掃除すると気持ちがよくて、すっきりとした気持ちでスタートすることができました。
雑居ビルの一室でしたので、隣室には違う会社が入居されていました。
その会社の社長さんは朝早くに出勤されていて、ともすれば、私よりも早く来られていることもありました。
自然と会話することになり、私を「ええ子や」と言ってくださいました。
人間って単純なもので、褒めてもらうと嬉しくなります。
そして、少しずつ自信がついてきます。
怒られてばかりの人間だったのが、入社4年目には、事務員の一番頭に立って、後輩を指導する立場になっていました。
5年目の夏、お見合いで主人と知り合い、結婚が決まりました。
結婚後は主人の会社を手伝うために退職させてくださいとお願いすると、できれば残ってほしいと言われました。
あの、怒られてばかりの役立たずの私が、残ってほしいと言わしめるほどになっていたのです。
これは驚きでした。


隣の社長さんが褒めてくださったおかげで今の私があります。
そして主人と出会えたおかげで、さらに前向きに努力するようになった、今の私があると思います。


心というものは、本当にはかりしれなくて不思議なものですね。