病院内の人間模様

1991年当時、心臓移植は夢の又夢の話でした。
息子と同室(4人部屋)だったMちゃんのお母さんが
「日本では心臓移植は無理だから、人工心臓が完成するのを待ってるのよ」
とポツリとおっしゃった言葉が耳から離れません。
Mちゃんのお母さんは元看護師さんでした。
時々、病室でもご自分で娘さんの心臓の音を、聴診器を当てて聞かれていました。
Mちゃんの詳しい病名はとてもじゃないけど、聞けませんでした。
息子の手術日が、病院のクリスマス会と重なった為、参加できなかった息子や私を
気遣ってくださり、その時の写真を見せてお話をしてくださいました。
とても陽気でよく喋ってくださる、前向きで明るいお母さんでした。


MSちゃんのお母さんはシングルマザーでした。
というのも、MSちゃんのお父さんは、妊娠がわかったばかりの時に
交通事故でこの世を去られたからです。
MSちゃんはクリクリした目が印象的なとても可愛らしい赤ちゃんでした。
いくつもの心臓奇形が重なっていてとても複雑な状態でした。
それをまだ20代前半の若いMSちゃんのお母さんは、たった一人で受け止めなければ
なりませんでした。
よく一緒に帰ったり、私が病院内で一番仲良くさせて頂いていた方でした。
息子の手術の成功を一緒になって喜んでくださいました。
ところが、息子が退院した後、手術を受けたMSちゃんは、先生方の必死の努力も虚しく、
天国へと旅立っていってしまいました。
後からそれを聞いた私は、ご自宅へお伺いして、仏壇にお参りさせていただきました。
あの愛くるしい笑顔の写真が飾ってあり、胸がつまりました。
これからの事について、MSちゃんのお母さんは、心臓病の子供達の為に
何かできる事をしていきたいとおっしゃっていました。


Aちゃんは北陸の出身でした。
Aちゃんのお母さんは、Aちゃんに付き添う為に、単身来阪し、
同じような境遇の方数人と一緒に、病院の近くに部屋を借りて共同生活をされていました。
今でこそ、『ドナルド・マクドナルド・ハウス』(http://www.dmhcj.or.jp/index.html)が
ありますが、当時はそんな便利な施設はありませんでした。
一緒に千羽鶴を折ってくださったりして、この方とも親しくさせていただきました。
Aちゃんも息子が退院した後手術を受け、今は元気にしています。


心臓手術は、必ず成功するとはいえない、言い切れない闇の部分がある事も又事実です。
どんな手術でもリスクはつきものですが、そのリスクに当たってしまった時、
人とは如何に強いものなのか、身をもって示されていた方がおられました。
そのお母さんの事は忘れられません。
息子が入院した時、すでにその方の息子さんは寝たきり状態でしたので、詳しいことは
わかりません。
ただ、わかっている事は『リスク』によって、お子さんが脳障害をおってしまったという
事だけでした。
そのお母さんは毎日毎日、もう5年も通ってきて、息子さんのお世話をされていました。
たった1日、休んだだけで…。
その1日とは、娘さんのお葬式の日でした。
元気にしていた娘さんが、突然、心臓に異常をきたし、あっという間に亡くなられて
しまったのです。
一度も背負うことのなかった、真新しいランドセルだけを残して…。
でも、そのお母さんは何事もなかったように、病院にやってきて、息子さんのお世話を
続けておられました。
息子さんに色々話しかけながら、私たちにも笑顔で挨拶されて。
息子さんへの強い愛情が感じられました。
本当にとても強い方でした。