先日、商店街を歩いていると親子連れが目に留まりました。
お母さんは買い物をされたようで、食材がたくさん詰まったビニール袋を両手に提げていました。
その横を小学校中学年くらいのお子さんが手ぶらで歩いていました。
それを見た時、思わず思ってしまいました。
うちの息子だったら、ビニール袋を「貸して」と言って、
私から取って提げてくれるだろうなあと。
近頃の親は子供にお手伝いをさせないのだろうか?
子供も又、お母さんが荷物が重そうで大変だと思わないのだろうか?
でも、ここで見方をガラッと変えることにしました。
上記の事は私の主観的な考え方にすぎません。
私の立場から見た勝手な思いにすぎません。
もしかしたら、お子さんは手に力の入らない病気で物が持てないのかもしれません。
もっと私の知らない理由があるのかもしれません。
モノの見方は様々です。
立場や環境や性格や身体的・心理的な事、様々なことが複雑に絡んでいて
一方的な考え方を押し付けることはできません。
だからこそ、人には『口』というものがあるのでしょう。
話合によって互いの考え方を知る事ができます。
それでも理解する事ができない場合もあるでしょう。
話合が平行線を辿る場合もあるでしょう。
でも、それでも、です。
暴力を振るうことは最低です。
伝わらないからとか、理解してもらえないからとか
甘えた考え方で暴力に走ることは、人間として最低だと思います。
力でねじ伏せて、自分の我を通す事は何の解決にもなりません。
昨今のいじめ問題の報道を見る度に、心が痛みます。
あれでは教育委員会、学校、担任、いじめた当事者の全員で彼を追い詰めたようなもの。
親御さんの気持ちを思うとたまりません。
いったい何のための教育委員会なのか!
いじめ問題に真っ向から取り組む意志が無いのならば、いっそのこと教育委員会なんてなくしてしまえばいい。
そこまで思ってしまいました。
中学の時、息子がいじめられた時、私は担任に抗議の電話を入れました。
数人で寄ってたかって1人の人間をいじめておきながら、謝りもしないなんて
学校はどんな教育をしているのか!と。
担任とこちらの意識の温度差に愕然とした事を覚えています。
こちらはいじめられたと感じているのに、担任はこう言ったのです。
生徒達に話を聞いたが、ただ、ふざけただけでいじめたわけではないとの事です、と。
大津の件も、まさにこの心理が働いていたとしか思えません。
責任を取ろうとしない大人のなんと多いことか。
ここで愚痴愚痴、愚痴っても仕方のない事。
私の単なる愚痴としてスルーしてください。