大家族への憧れ

家族が多いって素敵な事だと思います。
よく、テレビで大家族スペシャル等放映していますよね。
あまりじっくり観る時間はないのですが、
大家族なりの悩みや苦労があり、でも、
大家族だからこその喜びや楽しみもあって
いいなあと思ってしまいます。
無いものねだりといったところでしょうか。


昔の日本は大家族が基本でした。
お互い助け合い支えあって生活していました。
小さな子供からお年寄りまでどの世代も揃っていて
それが家族でした。


料理のレシピが4人分表示から2人分表示に変更されたように、
今の日本の家族はどんどん少なくなっています。
かく言う私も一人息子しか授かれませんでした。
結婚前、子供は4人くらい欲しいなんて思い描いていた夢は
夢で終わってしまいました。


又、家族の少なさを寂しく感じたのは義父のお通夜の時でした。
親戚は遠縁ばかりで、お通夜が終わると皆家に帰ってしまいました。
私の親も持病がある為、家に引き上げ、妹達も小さな子供がいた為
一端自宅へと帰って行きました。
そして、主人は一人息子。
義父の棺に寄り添って夜を過ごしたのは、
本当に私達家族だけでした。


鹿児島の田舎では、家族を始め、親戚一同が棺に寄り添って
一晩中話をしながら、交代で仮眠をとって過ごします。
それに比べれば、本当に静かな一夜でした。
早朝、主人が外に出ると、見知らぬ男性がこちらに向かって
合掌されていたそうです。
主人が、
「父のお知り合いの方ですか?」
と尋ねると、その方は
「いいえ、散歩していて偶然通りかかったのですが、
 これも何かのご縁と思い、お祈りさせていただきました」
とお答えになったそうです。
主人は
「それはありがとうございました」
と頭を下げたのだと、後で聞きました。


以前にも書いた様に、少ない苗字のせいか、親族は少なく、
反対に大勢の弔問客に見送られて義父は旅立っていきました。
親戚の数よりも、他人様の数の方が圧倒的に多かったのです。
それだけ、義父が人の世話を焼いてきた証しなのでしょう。


この世の中で家族という単位は、本当に基本中の基本だといえます。
その基本である家族が多いというのは、いざという時
なによりも心強いものです。


世の中がもっと安定して、安心して子供を産み、育てる事ができる
そんな環境が整う事を願ってやみません。
昔のように大家族で支えあって、苦楽を共にして、
絆を深め、暮らしていける、そんな世の中になってほしいと思います。