償いとは

本当は昨年末に吐き出して、新しい年を迎えたかったのですが、それが出来ませんでした。
いつまでも胸の中でモヤモヤしているので、やっぱりここで吐き出す事にします。
新年から、重い内容の記事ばかりなので、不快に感じる方はスルーしてくださいませm(__)m



さだまさしさんの『償い』という歌があります。
この歌を聴くたびに涙が出てきます。
本当の償いとは何かを教えてくれた歌です。



今から約10年前、義父は交通事故で亡くなりました。
義父は徒歩、加害者は原付バイクでした。
交通事故は双方の不注意で起きる事が多いです。
義父も悪かったと思うし、相手も注意不足だったと思っています。
加害者は大怪我をして入院していましたし、お通夜や告別式には相手の母親がやってきて頭を下げられたので、私達も責めるような事は一切言いませんでした。
義母は「うちの人はもう還ってこない。貴女のお子さんは生きていらっしゃるのだし、まだお若いから大事にしてあげてください。」と母親を気遣って、気丈なふるまいを見せていました。
ただ、その後が悪かった。
加害者と私達遺族との関係は最悪なものになってしまったのです。



加害者が入院している為、事故後の対応を母親がしていました。
私達はてっきり、母子家庭なのだろうと思っていました。
事故で相手を死なせた上に自分の子供も重傷で入院しているのに、一人で大変だろうし、気の毒だと、家族で話していました。
ところが告別式の二日後、私達は衝撃的な事実を知らされました。
加害者の父親は健在で、仕事が忙しかったから来なかったというのです。
これには義母もショックを隠せませんでした。
夫の命はそんなにも軽く見られていたのかと。
今まで優しく対応していた気持ちがいっぺんに萎えてしまったのです。
その後慌てて加害者家族は父親も含め、入院中の加害者以外の全員で義父の祭壇にお参りにやってきました。
でも、時既に遅し。
義母の怒りはおさまらず。
というのも、やってきた父親はただ頭を下げるだけで、一言も謝罪の言葉を口にしなかったからです。



さらに続きます。
警察の説明で、相手が無保険だった事が分かりました。
運転する者の義務を怠っていたのです。



事故後2週間で退院した加害者は母親とやってきました。
加害者は、ちゃんと制限速度を守り、前を見て運転していたと言いました。
まるで自分は何も悪くないみたいな言いぐさです。
私達は真実が知りたいと言いました。
義父は死んでしまったので言い訳をすることも出来ません。
唯一生き残った加害者が真実を言ってくれない限り、事故の真相はわかりません。
でもそれは幻想でした。
加害者が自分を悪く言うはずがないですよね。
私達は本当にお人好しでした。
ただ、自分の夫の命を軽く見られたと思っている義母は、もう、加害者の話をまともに聞く耳を持っていませんでした。
完全にへそを曲げてしまっていました。
そんな義母の為に私達夫婦でその後、加害者と何回か対面しました。
けれども、一向に示談の話はなく、無保険なのにいったいどういう対応をするつもりなのかと不思議でした。
義父は当時うちの会社の現役の社長でしたし、設計という大事な役割をしていました。
会社としてもその損失は大きかったのです。
結局、加害者からはどういう風に償っていくつもりなのかというお話を聞く事は出来ませんでした。



最後に加害者がやってきた時、何を思ったのか、今回の事故は自分だけが100%悪いわけではなく、責任は五分五分だと言いだしました。
さらに成人しているのに、わざわざ父親がお通夜や告別式に来る必要はなく、責められる必要はないとも言いました。
よって公共の機関で責任の度合いを決めてもらうと言いました。
訴えるなら訴えてくれとのことでした。
私達は開いた口がふさがりませんでした。
この人はいったい何を言っているのだろう?
正気の沙汰とは思えませんでした。
それを最後に加害者からの連絡は途絶えました。



私達は加害者の刑事裁判を傍聴しました。
裁判官は加害者の嘘を見抜き、検察側の証拠を採用し、加害者を有罪と下しました。
加害者は義父が駐車中の車の陰から飛び出したから事故になったと主張していました。
けれども、裁判官は数々の証拠から、駐車中の車はなく、加害者の前方不注意が事故の原因と決定されました。
執行猶予が3年つきましたが、これで責任の度合いがはっきりしたので、民事裁判を本当に起こしていいのかを加害者に確認すべく、弁護士を通じて連絡を取ろうとしました。
ところが、加害者は住民票をそのままにして既に姿をくらましていました。



弁護士を通じて親元へも尋ねて頂きましたが、居場所を知らないとの返事でした。
さらに、弁護士の薦めにより、義母の名を記して加害者の両親宛に手紙を出しました。
加害者の居場所を知っていたら教えてほしいと。
民事裁判を起こしてくれと言ったのは加害者の方だった事も書きました。
しかし、その手紙は無視されました。
親元からは何の返事も届きませんでした。
しかたなく、夫と義母は民事裁判を起こしました。
そして損害賠償金額がいくらであるという判決を頂きました。



加害者は行方不明のまま8年近くがたち、夫が加害者の母親に電話をしてみたところ、なんと加害者の居場所を知っていたのです。
母親はもう事故のことは全て終わった事だと、夫に言ったそうです。
それで、夫は刑事裁判の方は終わったでしょうが、民事の方が残っているのですよと言いました。
そして母親は自分の子供(加害者)にうちから電話があったことを伝えると言いました。
それっきりこれっきりです。
加害者からは何の連絡もありません。
何の連絡もないので、再び夫が母親に電話したところ、電話に出た人は留守番の者だと名乗ったそうです。
「そうですか。お母さんとそっくりの声ですね」と夫は皮肉を言ったとのこと。
加害者から連絡が欲しいともう一度頼んで電話を切りましたが、やっぱりそれっきり何の連絡もありません。



本当に申し訳なく思っているのならば、義父の1周忌とか、命日とかにお花の一つでも持ってお参りにくるものではないでしょうか。
自分勝手な思い込みで自分勝手な言いぐさをしておきながら、刑事裁判でも有罪となりながら、自分で言った訴えてくれという言葉の責任も取らず、こんな勝手な事が許されるのでしょうか。


さだまさしさんの『償い』
ここまで極端な事を思っているわけではありません。
ただ、この歌詞にあるように、遺族が加害者を許すという気持ちにさせる事が本当の償いなのではないでしょうか。
義母が加害者を許すという気持ちにならない限り、加害者の償いは終わっていないと思うのですが、間違っているでしょうか。
それは何年経とうが変わらないと思うのです。
年月の長さではありません。
加害者がこの何年かをかけて、義母に対してちゃんと償っていれば、もうとっくに決着がついていたかもしれません。
そう思うのです。
償わずに逃げているからここまでこじれてしまったのだと思うのです。
遺族の感情は何年経とうと癒されることはありません。
加害者は高齢の義母が亡くなってしまえば御終いだから、このまま逃げ続けていようと思っているように見えて仕方がありません。
義母が亡くなればもう償う必要はないと、単にお金の面だけで思っているように感じます。
義母の精神面への償いは?
バカにするにもほどがあります。
加害者だけではなく、加害者の母親もです。
何もかも終わったことだと夫に言いきった母親も、償いの意味がまるで分かっていない。
義母が許すと言わない限り、償いは終わっていないと思う、私達のこの思いは、エゴなのでしょうか?