四国の旅で思った事

番外編と思った事(感じた事)を少し。


【番外編】
田舎に到着した日、お花を買う為に花屋さんを探していたのですが
時間が早すぎてどこも閉まっていました。
すると道路沿いに『ふれあい市』ののぼりが。。。
見ると大勢の人が並んでいます。
テントの中にはお花も見えます。
すぐに駐車場に車を止めて、義母と私が車を降りて並びました。
その後主人と息子がやってきたのですが、どうも二人でもめています。
話を聞いてみると、
私達を降ろした後、駐車場の奥へ車を移動させたところ、
目の前の軽自動車のタイヤの所に『犬』を息子がみつけました。
「お父さん、犬がおる!」
と慌てて車を降りたそうな。
そんなところにいては危ないと思ったのでしょう。
ところが車を降りて行ってみると犬の姿は消えていたそう。
車から降りてきた主人がどこにおるん?と言いながら一緒に探したが
犬の姿はどこにもなかったとの事。
しかも息子が軽自動車のNo,を言って、その車のタイヤの所にいたと言った
のですが、そんなNo,の車は止まっていなかったそうです。
で、主人が息子に、「その犬はこの世のものではなかったんと違う?」と
言った為に、いたって怖がりの息子が反発してもめていたのでした。
そして、その話を聞いた私もいたずら心がでて、明石の時のお返しとばかりに
息子をからかったのでした。
「お母さんが初めて金縛りにあったり、不思議な体験を色々したのが
 丁度19歳の時やったで。あんたも19歳やろ?やっぱりお母さんの子
 やったんやねぇ。お仲間入りしてくれたん?」
とつっこみました。
息子は
「お母さんと一緒にせんといて!絶対犬はおったんやから。
 お父さんの来る前におれへんようになっただけやから!」
とあくまでも言い張ったのでした。



【思った事】
お墓へ行った時。
朝早かったけれども墓地にはたくさんの方がお掃除に来られていました。
そして、皆さん笑顔で「おはようございます」とご挨拶してくださったので、
こちらも自然と笑顔で挨拶していました。
又井筒屋敷へ行った時。
お土産物屋さんの建物に入ろうとすると、息子が上を指差し
「ツバメ!」
と言いました。
見ると出入り口の真上に巣があって、可愛らしい黒い顔が二つ覗いていました。


たとえば、都会で、見ず知らずの人に挨拶する人はいません。
もたもた歩いていたら邪魔とばかりに自転車のベルを鳴らされます。
(ここは商店街なんだから、そっちこそ自転車から降りて押して歩きなさいよ!)
と心の中で思わず悪態をついてしまいます。
お墓へ行く途中の道でも、すれ違っただけなのに、まるで旧知の仲のように
挨拶してくださいます。
ツバメの巣の場合、都会なら頭上注意等の張り紙をしておかないと
糞がかかっただのと文句を言われる人が現れます。
井筒屋敷ではそんな張り紙はありませんでした。


思うに四国の人はおだやかでのんびりされていて、自然と共存されているようです。
人間の本来の、自然と共に生き、自然と共に暮らす生活リズムができていて
心に余裕があるように思われます。
反対に都会の人間は重箱の隅をつつくように、文句の付け所をいつも探しているように見えます。
ギスギスしていて、少しでも優位な立場に立とうという事ばかり考えているような
そんな気がします。
心に余裕がないように見えます。


商売をしていると、うかうかできないので、どうしても気を張り詰めることになります。
でも、本当は人間は人間が喜ぶ顔を見たいから、何かをしてあげたいと思うものだし、
商売の基本もそうあるべきだと思えます。
自分にとって価値のある人とつきあい、価値がなくればさっと引いてしまう。
そんな風潮が都会では顕著です。


四国の風土がおだやかな人となりを作っているのでしょうねと主人と話したしだいです。