最後の挨拶

人は亡くなる前に、無意識のうちにやりたい事を全部やったり、
会いたい人に会ったりするものなのではないでしょうか?



義父が亡くなる前、いつもは出不精(人ごみが嫌い)な人なのに義母を
造幣局桜の通り抜けに誘ったり、
いつもは四国の田舎へもついてこないのに、一緒に行ったりしました。
又四国から帰宅した翌日、まだ疲れもあるだろうに、
護国神社へお参りしたいと言いだして、義母を連れて出て行きもしました。



忘れられない友の事を書きます。
彼女と話すようになったきっかけとか、出会いとか、
なぜか全然覚えていません。
小学校でも中学校でも一度も同じクラスになった事はありませんでした。
ただ彼女は目だっていたので、私は彼女の事を小学校の頃から知っていました。
背が高くて、折れてしまいそうなくらい細くて、大丈夫かしら?と思えるほどでした。
気がつくと友達の輪の中に彼女がいました。
たぶん、友達の友達といった感じで大勢で話していた輪の中に自然といて、
顔見知りになり、話すようになったのではないかしら?と思います。


彼女をAさんとします。
Aさんは関西弁を話しませんでした。
水戸育ちという事で、言葉が丁寧で、どこかのお嬢様と話しているような
そんな綺麗な言葉遣いをする人でした。
でも決して気取っていたりはせず、面白い話をしてくれる気さくな人でした。
そんな中で、私とAさんとはつかず離れずといった、さらっとした感じでの
お付き合いが続いていました。
ベッタリいつも一緒という関係ではなく、水魚の交わりといった感じです。
やがて年月が流れ、私は社会人になりました。
仕事で得意先へ行く為に地下鉄に乗りました。
地下鉄の扉が開いて中へ乗ると、目の前の座席になんとAさんが座っていました。
本当に久しぶりにあったので、お互いの近況をおしゃべりしながら楽しく
電車の中で過ごしました。
相変わらずAさんの話はユーモアにあふれ、笑わせてくれました。
私の降りる駅に着いたので、「じゃあ又ね!」と気軽に挨拶をして別れました。


その数ヵ月後、母が偶然Aさんのお母様と道で会いました。
そして、信じられない話を聞かされました。
Aさんが亡くなっていたのです。
家族で夕食をとった後、自室へ戻ったAさんは急に胸を押さえて苦しみだしたそうです。
その場にいた妹さんがすぐにご両親に伝えて救急車が呼ばれました。
しかし、救急隊員が到着した時、すでにAさんは。。。
救急隊員が妹さんに(ご両親はすっかり取り乱しておられたので)
「残念ながらこの場合警察を呼びますね」と言われたそうです。
心臓の太い血管が破裂した為、ほとんど一瞬の内に亡くなっていたそうです。


Aさんが亡くなった時期は、私が地下鉄で再会したほんの少し後の事でした。
彼女は私に最後の挨拶に来てくれたのかもしれない。
そう感じました。