まるでドラマのような

やっと落ち着いて時間を持てたので、頭の中を整理しながら、記録しておく事にします。

 

 

9月6日、義母が亡くなりました。

その日、お昼になっても起きてこないので部屋へ覗きに行くと

「38℃の熱があるねん」

と言ってベッドに横になっていました。

直ぐに氷枕をしました。

氷水が飲みたいと言うので飲ませました。

額も冷やしてほしいと言うので、保冷剤をタオルで包んで額にのせました。

寝かせておいた方がいいのだろと思い、部屋を後にしました。

 

 

日曜日なので、3時には皆でお茶をするのですが、その日、夫は仕事でした。

覗きに行くと義母は寝ていました。

胸が上下するのを確かめました。

なんとなく不安だったのです。

 

 

夕方、息子と買い出しに行きました、

私自身も少し疲れ気味だったので、息子に手伝ってもらったのです。

義母にはウドンとスイカを購入しました。

帰宅後、まだ義母は寝ていたので、私たちだけで先に夕食を済ませました。

夫がお風呂から上がって義母の様子を見に行きました。

その直後、夫から呼ばれました。

「顔色悪ないか?」

私は慌てて近寄り義母の腕をつかみました。

とても冷たくて驚きました。

「救急車呼んで!」

息子にそう叫んだあと、心臓マッサージをし、呼びかけ続けました。

しかし救急隊が到着してみてくださった時、死亡が確認されました。

救急隊員はこういう場合は警察に引き継ぎをしなければならない事を丁寧に

説明してくださいました。

 

 

そこからがまるでドラマを見ているような、別世界の情景が続きました。

刑事や鑑識が来て、現場写真を撮ったり、部屋の中の調査をされました。

私たちは別室に移され、その日の事を順番に説明しました。

夫は複雑なビルの構造を説明する為図面を持ってきたり、ビル内を案内して回りました。

 

 

自宅で亡くなった場合、事件性が無いかを調べなくてはならないのです。

何か取られたものはないか?

義母の部屋に入れるルートは?

義母の持病は?

生年月日に始まって住所、本籍地、家族構成等々。。。

おまけに中国人留学生たちがいるので、彼らまで疑われました。

直接彼らに事情を尋ねる事はありませんでしたが。。。

 

 

義母は警察に運ばれていきました。

監察医に診て頂くためです。

そしていつ帰ってくるのかが分からなかった為

通夜を9月10日、告別式を9月11日に予定していただきました。

 

 

翌7日午後、警察から電話があり、事件性が無い事は分かったが、

義母の死因を特定するため、CTなどの検査をするとの事。

それでも分からない時は行政解剖になるとの事でした。

夕方、警察から、義母の死因が分かったのでご遺体を返しますとの

連絡がありました。

葬儀屋さんと夫が監察医事務所へ向かいました。

夫は死体検案書を受け取り、葬儀屋さんには義母を引き取っていただいて

棺に納めてから、家へ連れてきていただくことになっていました。

義母の死因は『急性大動脈解離 スタンフォードA型』でした。

監察医事務所の方は夫に

「この病気の場合、たとえ医師がすぐ横にいても助ける事は難しいです。

なのでご自分を責める事はないですよ」

と慰めてくださったそうです。

 

 

義母は綺麗な薄いピンクの棺に収まって帰ってきました。

7日の夕方から10日の午後3時半まで、自宅で過ごしました。

棺の傍で私たち3人は寝ました。

義母はエンディングノートを残していました。

しかも孫である息子にしか伝えていませんでした。

遺影にする写真を探している時にふいに息子が思い出したのです。

エンディングノートというよりは、ノートの頁1枚に書かれた義母の思いを

知る事が出来ました。

 

 

義母の思いを酌み、又コロナの事もあったので、家族葬で本当に大阪にいる身内だけで済ませました。

町会長やケアマネージャーには話しましたが、周囲には話しませんでした。

会社関係にも知らせず、夫は仕事を続けながら、葬儀の打合せなどをしていました。

現場は協力会社にまかせていたのですが、あまりにも夫が来ない事を不審に思われたので、何人かのお客様には事実をお伝えしました。

 

 

昨日葬儀と初七日が済み、今日はお世話になっていたクリニックの先生へご挨拶に行ったりして、(先生には当然警察から問い合わせがあったそうです)漸く少し時間が出来ました。

 

 

妹はとてもいい葬儀だったと言ってくれました。

家族に愛されていたことがよく分かったと。。。