人間とは

昔、義父がまだ若くてバリバリの現役だった頃、義母には内緒で
頼まれて少年院を出た少年達を雇っていた事があったそうです。
彼らが社会へ出たところでなかなか働く場を与えてもらえない事は
悲しいけれど現実の事です。
その点、私は義父を尊敬しています。
誰にでもできる事ではありません。


昔のそういう過ちを犯す少年達には、貧しかったりとか切羽詰った事情と
いうものがありました。
ですから、彼らは義父の元、少々喧嘩っ早い事はあっても、真面目に
働いてくれていたそうです。


ところが、ある日。
現場で物が盗まれるという事件が発生しました。
可愛そうに、警察に一番に引っ張って行かれたのが彼らの内の一人でした。
義父は彼を身元引受人として迎えに行ったそうです。
本人が盗みを認めない為、随分長い間返してもらえなかったそうです。
結局証拠がない為、最後まで盗みを認めなかった彼を解放してもらえたとの事でした。
その一件で、義母に少年院の事実がばれたそうです。
疑いをかけられたうちの会社は現場で白い目で見られることとなりました。


後日、犯人が判明しました。
現場の施主である会社の社員が商品を盗んで横流しをしていたのでした。
けれども、うちの会社に対して暴言を吐いた施主さんも、警察も
疑われた少年や義父に謝罪の言葉一つなかったそうです。
それが世間というものです。
本当なら、そこで、傷つけた少年の心に対して、間違いは間違いとしてちゃんと認めて、
きちんと謝罪するという、大人としての態度を示して欲しかったと思います。
それが人間というものだと思います。
それが少年に人を信じて生きていく事を教えるいい機会でもあったのにと思うと残念です。


昔の、過ちを犯す少年達と、現代の罪を犯す少年達とは事情が違うように感じます。
今の少年犯罪の理由を報道などで読むと、たいてい、遊ぶお金欲しさとか、
人を殺してみたかったとか、エゴや訳のわからない理由が目に付きます。


何がいけないのでしょうか?
やはり、『教育』が原因のような気がします。
我慢や辛抱をしたり、相手を気遣ったり、考えたり、工夫をしたり、努力をしたり、
感動したりといった経験が、今の子供達には少ないのでしょうか?
家の手伝いなんてしなくていいから、勉強さえしていればいいからと
学校に理不尽な文句を付けたり、給食費を払わなかったり、勝手気ままにやっていいのだと
親が悪い見本になってしまっているように見えます。
このままでは、本当に、日本は駄目な国になってしまいそうです。


企業が人で成り立つように、国も又人で成り立つものです。
ここは、私達大人が、子供達の為に、将来の国の為に、もっとよく考えないといけないと
思います。